何を伝えたいというわけでもない朝。
平和大通りの南側に並行するように存在する長い直線の道路。
僕は寝坊して慌ただしく朝の支度を済ませて出発し、自転車を飛ばしていた。
自転車は銀色のシティサイクル。大学1年生の夏に両親が購入してくれた。
以前はフロントに荷かごが付いていたが、先日とうとう錆びて完全に外れてしまった。それでも、乗り心地・使い勝手はそこそこ良く、気に入ってずっと使っている。
この自転車で、会社へと続く直線の道路を全力で走ることが、僕にとってある種の瞑「走」であり、ライフハックなのだ。
そして自分で言うのも何だが、ここら一帯で僕より早く自転車を運転している人間は見たことがなかった。
そのことは無意識のうちに自分の中で自尊心を高めてくれていたようだ。
そう、この日までは。
僕は信号が青になるのを待ちながら時計を確認した。9時45分。なんとか遅刻は免れそうだ。
この信号を含め、会社まで信号をあと三つ通るというところだった。
油断はしない。いつも通り全速力で会社に向かう。そして余裕の表情で「おはようございます」と爽やかに言いたい。
信号が青になるのとほぼ同時に、右足に全体重を乗せて漕ぎ出す。
すると、横に並んで一緒に信号を待っていた自転車も猛烈な勢いで発進した。初速はほぼ互角。だが、その影はぐんぐん速度を増していた。
「なんて加速スピードだ。ロードバイクか?どんなマッスルライダーが運転しているんだろう。」
その自転車に焦点が定まったとき、僕は鳥肌が立った。
トサカのようなふさふさヘアスタイルにサンバイザー。そしてややくすんだようなピンクのレギンスパンツ(ももひき?)がなんともアイコニックなライダーだ。
「(オバちゃんだとぉぉッ…!!!!!)」
そう、自転車のライダーはオバちゃんだったのである。背筋をピンと伸ばしたオバちゃんは、涼しい顔で全速力の僕とどんどん差を広げていく。
見ると、彼女の自転車の中央部には禍々しいオーラを放つパウンドケーキほどの大きさの箱のようなものが取り付けられていた。そこで僕は彼女の乗っているのが電動アシスト自転車であることを悟った。
僕は懸命にペダルを漕いだが一向に差は縮まらなかった。オバちゃんはそのまま二つ目の信号、フジグ○ラン前のスクランブル交差点を軽快な走りで横断し、そのまま消え去ってしまった。
信号が点滅し、取り残された僕はしばらく呆然としながら虚空を見つめていた。
僕の自信は粉々に打ち砕かれた。オバちゃんに。そして禍々しいパウンドケーキもどき付き自転車に。
そのうち徐々に正気を取り戻し、「世の中にはおもしれぇヤツがいる。」と呟いてみた。
…いや、別に大したことじゃないか。
信号が青になり、ペダルに全体重を乗せる。
なんだか心が軽い。ちょっとワクワクさせられた。
そのまま最後の信号も通り過ぎ、会社に到着した。
これは今月一のドラマになりそうだ。
そう思いながらドアを開けた。
「おはようございます」
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